放浪、漂流、セルフケアろ〜どをゆく

過去の日記。低空飛行で自分と付き合っていく。おひつじ座

2019年8月

…しんどい。映画『僕はイエス様が嫌い』を観てきた。全身の力が抜けて、十三のパン屋のイートインにいた。

今日のコールセンターの仕事は変だった。15件も契約を取っていた。1時間に2.2件取ったことになる。おかしい。私は15件も契約を取れるような人間ではなかったはずだ。

始めのうちは注文が取れてホッとしていたけれど、だんだん注文が取れるたびに怖くなった。電話でセールストークを繰り広げるたびに"取れるぞ"という感覚になったし、実際ほとんどがそうなった。注文が次々取れてこわい一方で嬉しさもあった。滅多に注文が取れない私だから11件目くらいまではマグレが起こる度に新鮮に驚いたが、それ以降は残り時間で14件を目指すという目標を立てて自分と張り合うような気分でやっていた。もはや普段のように楽しい妄想を繰り広げて労働時間をやり過ごすことはできなかった。休むまもなく電話をかけまくった。14件目あたりで両隣の人に妬まれていたらどうしようという不安がよぎったが、私が逆の立場の時は隣の人がどれだけ注文を取れていても「すんげーな。早く定時になれ」と思っているだけだったので落ち着いた。

管理職に受注票を1件ごと持っていかれるたびにどう反応していいかわからなくなっていた。おめでとう!とか、っしゃ!とか軽く声をかけられ、鼻高々になっていきそうな自分を抑え、けれど何も感じてないようには見えないように軽く会釈をするが、それすら鼻高々の人がする振る舞いに感じてしまった。こうやって言葉を重ねる自分も何もかもが恥ずかしい。

こわくなった私はそんな気持ちを浄化したくなり、行くか迷っていた映画に向かった。

この仕事を始めた頃は「押し売りしたくない」「注文は取らなくていい」「私は天性の売る才能がない者だ」といったことを思っていたのに、何かの部分が上手くなってしまったんだろう。取れた注文はみんな必要な物だから売れたんだと思おうとする脳が、もはや洗脳されている気がする。妙に早口でうまくしゃべれるようになってしまった。本当は周囲よりも注文が取れて嬉しい気持ちがある。これがこわさの正体。何もかも浄化されたかった。だからナナゲイで映画を観ることを迷わなかった。

ナナゲイのビルに着くと楽器を持ったミュージシャンっぽい人たちとエレベーターに乗り合わせ私は奥に移動した。私が降りたい6階のボタンは押されてなかったが別にいいかと思った。3階で1人降りて空いたので、6階のボタンへ手を伸ばした。ギターを担いだチャイナブラウスの人の前を「すいません」と私の手が通過。チャイナブラウスの人は私が今になって行き先ボタンを押すことに恐縮したようで会釈をした。私はいえいえみたいなポーズ。このやりとりが、なんかすごく、私を揺さぶった。

私の居場所はこういうところと思った。ここなんだよ。

私がいつも行く会社のビルは違う。エレベーターに乗っても誰もが無言。誰もが乗り込む瞬間にスマートに行き先ボタンを押す。無駄のない行動。

チケットを買い、自分が今どういう空間にいるのかをあらためて認識して嬉しくなった。喜びを全身で感じていた。席に着くとナナゲイの匂いを憶えていることに気がついた。席指定はないから前に頭があったら移動する。自由。予告編の時点で満腹に近かった。久しぶりのミニシアター系映画の予告。喜び。安心できる。日記を書いていたら映画の内容を受けた衝撃がやわらいできた。この前あった監督のトーク聞きたかったな。来週また観に行こうかな。愛しい。

 

『僕はイエス様が嫌い』

https://jesus-movie.com